誰かのおすすめ及び抱負

最近というかここ数年何かを買おうとするときにまずsnsから検索して、評判なり口コミなりをざっと見て検討することが多い。

そうしているうちに、「今年買ってよかったもの10選」やら「一人暮らしをするときやるべきことベスト3」やら「今季のベストバイコスメ」やらが私のタイムラインを埋めることになる。

インスタから気に入ってフォローした人の楽天ROOMを眺めて、世の中にはこんなに便利だったり可愛いものだったり素敵なものだったりが溢れてるんだなあと、気に入ったものを買うときもあるが、ほとんどはページをスクショしてiPhoneに保存して、そのうちにどんどん忘れていく。

初めのうちは良かったのだ。買い物で失敗はしたくないし、私は大勢の人が良いと言っている物を買いたいほうだから。

 

たとえば、一人暮らしを始めるにあたり、一人暮らしを始める前にここのスキマをテープで埋めるべき(あとで掃除が楽だから)とかお風呂場に防カビ燻煙剤をはじめに炊いておくべき、とか、後で後悔しないように、全然知らない人の教訓とおすすめをSNSで検索し続けて、実際それを実践し、まあ助かったし便利だった。ただし頭の中の大部分が誰かのおすすめで埋め尽くされてしまう感じがした。

そして検索するごとに絶対に失敗したくない、後悔したくない、損したくない、という気持ちにすごく突き動かされてしまう。やっぱこれを買えば良かった、やっておけばよかった、という後悔をどんどんしたくなくなる。だから実際、誰かに裏付けされた物ややり方があるならば、それを真似したいし、そうしないのは損をしているんだろう。

損をする、というワード最近頓に目につく。

インスタでもTwitterでも、「損をしない」が冒頭に来る投稿がたくさんあって、そしてバズりまくっている。「得をする」よりも「損をしない」投稿の方が目につくような気がするのは気のせいなんだろうか。それとも私がそういう投稿ばかりを見ているのかもしれない

損をしないように、いろんな情報に触れておく。たくさんの情報に触れておけば、損はしない。

しかし損はしたくないけど損しないことを第一に生きるのがベストなのかと聞かれたら閉口してしまう。そもそも何故それをしないこと(買わないこと)が私にとって損になりうると知らん人に断言されないといけないんだ。私がふるさと納税や携帯の乗り換えをしないことで受ける不利益はてめえの損ではないだろうが、と。(これは最近個人的にアップルの店員に怒っているので極端にキレています)

 

「損しないこと」=「豊かな人生」では決してないだろと思うけど、やっぱ最短ルートで正解っぽいものに辿り着きたい、でもな、もうちょっとマシになりたいよ

最短ルートで正解っぽいものにたどり着くより遠回りでもちゃんと自分の正解に辿り着く方が良いとは分かってるんだけど、なんかバタバタしてて嫌ですね。興味もなかったのにサジェストされたおすすめに目が止まってどんどん脳が支配されていく感じがして、自分で考える余地が少なくなっている感覚がある。目まぐるしく変わる流行と欲しいものと便利なものにどんどん目移りしてしまう。

 

去年はたくさん色んなことをして、わりと出来ることは頑張ったかなと思えることもあれば、でもそれって別に自分が能動的に何かした訳ではないなと反省したりすることもあった。でも「何かをした」という実感があるのは良いことだ、少なくとも自分の中では。

けれど触れる情報がすべて誰かのおすすめだったり教訓だったりして、肝心なことが何にも手付かずだ。今年はもうちょっと文章書いたり、音楽作ったり、机に向かう時間を持てるようにしたいよ。毎年言ってるね…

触れる情報量が多い方が豊かだなんて絶対に間違っている、ということを今年なんとか自分で実感したいなと思う、以上まとまりありませんが2022の抱負