大人

 

お世辞を言ったり、お酌をしたり、夏でもストッキングを履いたり。今まで散々馬鹿にしてきた。大人になるということ、それは私にとっていつも嫌悪の対象だった。こんなこと言うの、中学生みたいだし人並みで恥ずかしいけれど。

 

自分にとって、「大人になること」はイコール「女であること」にかなり近かったように思う。

小学生の頃から、親戚や親に「やっぱり女の子だね〜」と言われるような行為は死んでもしたくないと思っていた。「女の子らしさ」を指摘されるとものすごい嫌悪感と恥ずかしさで必死に否定した。髪を結んでいるのは暑いからだし、ヘアゴムがピンクなのは、それしか持ってないからだ。

本当は、理由なんて何一ついらないのに、指摘されるたびに様々理由をつけていた。

 

中学校に上がる頃には人並みにお洒落にも興味が湧き、化粧品だって買った。買った化粧品は絶対に親に見つからないように机に隠し、出かけにつけた口紅は家に帰るまえに拭い取った。

今でも人前で化粧ができない。トイレで化粧を直してても、人が来るとサッとやめる。顔を気にしている様子を人に見られるのが耐えられない。

 

そんな自分を今では不憫に思う。可愛くありたいというのは自然な感情だし素敵だ。誰にだって自分がYUKIだと思って生きる権利があるし。

 

親のせいにするのは忍びないが、半分くらいは両親の影響だと感じる。母は女を売りにするアイドルや芸能人が嫌いだったし、自分自身化粧っ気もなく着飾ったりもしなかった。

父はいつも私の容姿を、もちろん冗談なのだがからかっていたし、冗談とわかっていたけど塵も積もればそれも呪いになった。

 

しかし私も年齢的には大人になり、今では自分をよく見せようとすることに理由づけはいらなくなったし、自由だ。(大人になって良かったー!)

けれど今でも人に望まれる対応ができないし、小さい子供や動物に人前で話しかけられない。大人の女性はいつも赤ちゃんを見れば可愛がり、お客さんには丁寧にお茶を出せる。

私はいつまでも、キョロキョロと落ち着きがない。はあ

人と同じは恥ずかしい。けれど人並みになれない自分はもっと恥ずかしい。

なりたい自分となりたくない大人像がちょっとずつ重なる。嫌悪しているのは、妬んでいるからか羨ましいからか。