音楽と記憶

春が大嫌いだ。

匂いと記憶の親和性が高いという話をよく聞くけど、音楽だってそうだと思う。わたしの場合、それは春にちなんだ記憶が多い。

 

環境が変わること、本当に苦手だ。慣れ親しんだものに別れを告げて、新たにいろんな関係を構築していていかなければならない。心が不安定な時に聞いていた音楽だから、記憶に残るんだろうな。

 

椎名林檎無罪モラトリアムニルヴァーナのネバーマインド。

この二枚のアルバムを聴くと私はたちまち高校2年の春にタイムスリップする。

 

春。霞みがかった空、まだ肌寒くて、なんだかふわふわと落ち着かない。新しい何かを始められそうな気がするのに、どうしていいかわからない。貴重な青春時代であるところの高校生活を無駄にしてる気しかしなくて焦っている。そして結局何もできないけれど、春の風は妙に清々しくて、少しさみしい。

もやもやとした霞の先、本当はだだっ広い空間が広がっているはずなのに、もやの先は壁しかないと先に進むのを諦め高みの見物のつもりでいる。思ってもないのに。

椎名林檎の正しい街が大好きだけど、この歌も春が似合うな。

 

この二枚のアルバムを聴くと、こんなことがザザッと頭を駆け巡る。

 

THE COLLECTORSのcollector Number 5

SEBASTIAN X の ヒバリオペラ

 

この二枚は、大学に入学する春によく聞いていた。やっぱり一番に思い出すのは不安だ。心もとない感じ。この二枚を聴くとあの頃の不安と期待、そして、自分はものすごく1人なんだ、という気持ちが蘇る。親しい友達はみんな離れ離れで、自分のことは自分で決めなくちゃならない。

特に桜を見るとこの頃のことを鮮明に思い出す。サークルの新歓、なんだかみんな浮かれていて、わたし自身も早くこの雰囲気に慣れなければと必死だった。ほろ酔いで家路に着いた帰り道、急に全部が滑稽に思えて笑えてきた。一体何やってるんだろう?こんなことするために血を吐く思いで勉強してきたんじゃないのに。じゃあ何か目的があったのかと言われると困るんだけど。

今思い返してみると、この頃の私は真面目すぎる上に目に入る全てを下に見ていて、偉そうだったな〜とかなり反省している。しかし客観的に自分を見れるようになった代わりに、この頃の気持ちもう忘れてしまった。この頃の気持ちのままでいたら、今全然違うんだろうななんて思ったりする(こういうところがいつまでたっても阿呆らしいね)すごく大事な気持ちだった気がするよ。

 

常に妙にさみしい気持ちになってこの頃は頻繁に家で泣いていた。父の前でみっともなく大泣きしたこともある。父は、わたしのこの寂しい気持ちをわかってくれて、ひとしきり話し合ってくれたこともあった(まあ父はわたしの高校3年間全て無駄だったと言い放つようなところもあるのだが)。

 

特に、コレクターズのお願いホーキング博士(これはアルバムの一番初めの曲なので一番回数聞いている)を聴くと、大学への不安と期待、高校卒業間際にできた離れ離れの恋人のこと、その頃よく着ていた春色のコートと染めたばかりの髪を思い出して切なくなる。

 

多すぎる選択肢、どれも正しくないような気がして結局なんにも選べなかった。人生は選択の連続だけど、私のこれまでの人生を振り返ると、「選ばないを選ぶ」これに尽きると思う。結局選ばなければいけないのだから、その中で最善を選べば良いのに。

この先だって選択の連続だ。選択肢を増やすために入ったはずの大学で一体どれだけの選択肢が与えられていたんだろうか。

これから先の選択肢って、本当に減って行くばかりなのかな。

 

大嫌いな春、でも決して不安で寂しくて泣いてばっかの悲しい記憶ではないんだ。少しあたたかくなってきて太陽を感じて歩き出したくなる。不安で足がすくんでしまうけど、がんばってみようと思える季節。じたばたしてるうちに過ぎ去ってしまう短い季節。
春から私は就職して働き始めるわけだけど、今年の春もまた、新しく春を思い出す音楽ができる年になるんだと思う。ちょっとだけわくわくしている。

 

 

 

追伸

春の気配がしてきた2月の頭に書き始めたけど全然完成できなかった。春が終わる前にとりあえず投稿する。